別館 巫氏春秋

主に三国志について   書き手:巫俊(ふしゅん)

「正史」という言葉について

何か、私が世間ズレしてるのかもしれませんが、

某所で以下のようにご指摘頂きまして、

 

「正史」→「作品A」

「正史」→「演義」→「作品B」

 

という流れに整理できるから、「演義」も、実は「正史」を強く意識した作品であり、「作品A」だけ正史準拠とはならない。

 

そういうお話でした。なるほど、と思いつつ、心のどこかで消化できない感じがあって気になっていました。

これなんですけど、「正史」って略称、三国志三国志以外で、意味しているものが違うんじゃないでしょうか?

 

本来の正史とは、二十四史などと呼ばれる中国の代表的な歴史書のことですが、正史『史記』とか、正史『漢書』とか、そう言わないとは言えないけど、慣れてくれば『史記』や『漢書』としか呼びませんし。

 

それに対して、三国志の略称の「正史」は、同じタイトルで親しまれた『三国志演義』を『三国志』と呼ぶ習慣があるからです。私の感覚では、演義と区別するために、他の歴史を研究するときには使わない言葉だと思いながら、略称として「正史」という言葉を使用してきました。

 

また、「正史」準拠といっても、何も陳寿歴史認識の通りに小説を書くべきという訳でもなく、そういう意味ではないんですよね。(正史は正しい歴史というより、後世の王朝が正統と認めたたぶんに政治的な歴史評価のこと。)

ということは、「正史」という言葉を、現代の歴史学の水準で認められた「史実」と同じ意味で使うのも言葉の転用なんですね。

 

だから、いったん「演義」と区別した上で、歴史の史実を探求したいという気持ちが入っている作品を、「正史」系の作品と呼べばいいのかなと思います。気持ちの問題だし、創作が入っていて普通だということでした。